あっけないくらいに治ってしまいました。残っているちょっとした筋肉痛程度の痛みなど、「痛い」内には入りません。腕も回せるし、上げられるし、呼吸が出来なかったほどの強烈な痛みがあったことなど遠い夢のようです。痛かったのは、一体どこだったのでしょう。
面白かったのは、カラダの右半身で幾つか発見した青アザ。一体何時できたのでしょうか。
だから、来週も走りに行きます。たとえ全く同じルート選択をしたとしても、岩の位置は変り、水溜りの大きさは変り、轍すら変化しているトラックでは、気を抜いた瞬間にそれら全ての味方だと確信していたものたちが、敵と化して襲い掛かってくる、毎回が新たな挑戦だからです。
イヤ、文字通り「襲って」くるわけではないのですが…。
走行ラインを考えるのは、まるで複雑なパズルのようで、取り方によっては運命の分かれ道になる事もあります。轍が複雑に入り組んだ平地では、ただ単に運が作用する「アミダくじ」で、たとえ「スカ」を引いてしまっても止まってやり直しがききますが、ゴロゴロ岩場の登りや下りでは、一瞬の判断ミスが事故や怪我につながります。気を緩められないMTBは、ワタシにとってのメディテーション。緊張状態を保つことで、アタマが空っぽになるわけなんですね。日頃、邪念の多いワタシには、もってこいのセラピー。
イヤ、そんなことしなくてもカラだって話しは…。
「痛い」時には、世界中で私ただ一人が「痛い」んだとしか思えませんでした。
でも、「痛い」人はたくさんいます。
「痛い」と言わない人もいます。
「痛い」と気づいていない人もいます。
それでも「痛い」は無い事にはなりません。
「痛み」を癒す術を知っている人がいます。
さりげなく、「痛いの、飛んで行け」と頭を撫でて、
「ここにいるよ」と安心させてくれます。
自分の、他人の「痛い」を知っている人です。
いつか私も。
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